(1)上腕神経叢麻痺(じょうわんしんけいそうまひ)

(1)病態

右の鎖骨下動脈部を左指で押し込んで、圧迫すると、しばらくして、右上肢全体が痺れてきます。
これは、右鎖骨下動脈の下に、上肢を支配している5本の上腕神経叢が走行しているからです。

頚髄と胸髄から枝分かれをした5本の神経根、C5、6、7、8、T1は、束状になって鎖骨と第1肋骨の間を通過し、脇の下あたりで、正中、尺骨、橈骨、筋皮神経と名を変えて上肢を支配しているのです。

神経叢

神経叢の叢とは、草むらを意味しているのですが、5本の神経根が草むらのように複雑に交差しているところから、上腕神経叢と呼ばれているのです。

上腕神経叢麻痺

上腕神経叢麻痺は、単車・自転車で走行中の事故受傷で、肩から転落したときに、側頚部から出ている神経根が引き抜かれるか、引きちぎられる状況で発生しています。
鎖骨骨折、肩関節脱臼、上腕骨骨折などに合併して発症することもあります。

腕神経叢はC5~C8頚髄神経とT1胸髄神経で構成され、それぞれの支配領域は以下の通りです。
①C5頚髄神経根:肩、②C6頚髄神経根:肘の屈曲 ③C7頚髄神経根:肘の伸展と手関節
④C8頚髄神経根:手指の屈曲 ⑤T1胸髄神経根:手指の伸展

本来は、頚・胸髄神経根の引き抜き損傷であり、自賠責保険では、神経系統の機能または精神の障害のカテゴリーとしていますが、障害が上肢に集中するところから、NPOジコイチは、上肢の障害として取り上げ、解説しています。

(2)症状

1)C5~T1に至る右神経根5本すべての引き抜き損傷では、右上肢のすべて、つまり、右肩、肘、手関節、手指の機能を失い、神経麻痺により、自分では、まったく動かすことができなくなります。

2)C5右頚髄神経根の引き抜き損傷では、右肘、右手、右手指は動きますが、右肩は麻痺します。

3)C5/6/7右頚髄神経根の引き抜き損傷では、右肩、肘と手関節は麻痺しますが、右手指は動きます。神経根だけにとどまらず、神経幹、神経束の損傷が加わると、麻痺形態が複雑になります。

(3)治療

急性期を脱した受傷後2カ月の時点で、治療先で紹介状を取りつけ、実績のある専門病院を受診することになります。実績のある専門病院は、主治医に紹介を求める方法もありますが、やはり、貴方自身がネット検索で発見することが重要です。
腕神経叢麻痺が自然回復するか、手術で神経を移行もしくは移植することができるかの判断は、①神経が脊髄で引き抜かれているか、②断裂では、神経損傷のレベル、③発症している麻痺の型などで決まるのです。

神経損傷のレベル

後遺障害を残すのは、引き抜き損傷と断裂だけです。
軸索損傷は3カ月以内に、神経虚脱となると3週間以内に麻痺症状は自然回復するので、後遺障害の対象ではありません。

脊髄造影で造影剤の漏出所見があり、CTミエロ、MRI、電気生理学診断などの補助診断により、引き抜き損傷と診断されたときは、手術により引き抜かれた神経を縫合することは不可能であり、フォームの始まり
いくら待っても自然回復はなく、早期に専門病院に転医して、専門医の手術で腕神経叢を開き、副神経や肋間神経の神経移行術を受ける必要があります。

神経根からの引き抜きはないものの、その先で断裂、引きちぎられる神経断裂では、ミエログラフィー検査で異常が認められず、ホルネル症候群も、異常発汗を示さないこともあり、このときは、脊髄造影、神経根造影、自律神経機能検査、針筋電図検査等の電気生理学的検査、MRI検査などで、麻痺を立証しなければなりません。神経断裂では、神経縫合術が選択肢となりますが、損傷された神経の欠損が多いときは、神経移植術の適用となります。

※JA山口厚生連 小郡第一総合病院 整形外科
〒754-0002山口県山口市小郡下郷862-3
TEL 083-972-0333
医師 土肥 一輝 統括院長

C5~T1の引き抜き損傷による全型麻痺では、従来、肋間神経を移行して肘屈曲を再建し、肩固定術を2次的に行う方法が中心でしたが、手指が動くことはなく、機能回復としては不満足なものでした。

小郡第一総合病院が開発した①~③の3回の手術によるDFMT法では、肩と肘機能だけでなく、手指屈伸機能も回復できるようになり、最も優れた機能回復手術として評価されています。
①最初の神経移植術か、神経移行術による肩機能の再建、
②次ぎに、筋肉移植による肘屈曲と手指伸展の再建、
③最後に、筋肉移植術による指屈曲の再建と同時に行う肘伸展と手指の知覚再建からなっています。

夢の手術ですが、すべてで適用できるのではありません。
副神経や肋間神経の移行や移植手術は、腕神経損傷後6カ月以内でないと適応がありません。
6カ月以降に手術を行っても、筋肉が萎縮し、神経が回復しても充分な筋力が回復できないからです。
DFMT法、筋腱移行術であっても、原則として40歳未満の年齢制限があります。
年齢は若いほど、神経回復は良好ですが、40歳、50歳となると神経回復が不良になるからです。
さらに、鎖骨下動脈損傷や副神経損傷を合併しているときは、DFMT法は実施できません。

(4)後遺障害

1)C5~T1の引き抜き損傷で、神経移行術や筋腱移行術、筋肉移植術などが実施されず、6カ月以上を経過したものは、1上肢の用廃と1手指の用廃で、確実に5級6号が認定されます。

2)C6~T1の引き抜き損傷では、1上肢の2関節の用廃で6級6号、手指の用廃で7級7号となり、併合のルールでは、併合4級となりますが、1上肢を手関節以上で失ったものにはおよばず、併合6級が認定されます。

3)C7~T1の引き抜き損傷では、手関節の機能障害で10級10号、5の手指の用廃で7級7号、併合のルールでは5級になりますが、1上肢の2関節の用廃にはおよばず、併合7級が認定されます。

4)C8~T1の引き抜き損傷では、5の手指の用廃で7級7号が認定されます。

上腕神経叢は、5本の神経根が草むらのように複雑に交差しており、引き抜き損傷か、神経の断裂か、また副神経損傷を伴っているか、神経移行術や筋腱移行術、筋肉移植術などの成果などで、残している障害はマチマチであり、上記で解説している理論上の推定が当てはまらないことも頻繁です。
実際に、被害者と面談し、残存している障害から等級の立証を開始しています。

等級 上腕神経叢麻痺の後遺障害等級 自賠責 喪失率
5 6:1上肢の用を廃したもの 1574 79
6 6:1上肢の3大関節中の2関節の用を廃したもの 1296 67
7 7:1手の5の手指または親指を含み4の手指の用を廃したもの 1051 56
8 6:1上肢の3大関節中の1関節の用を廃したもの 819 45

(5)後遺障害のポイント

1)引き抜き損傷では、脊髄液検査で血性を示し、CTミエログラフィー検査で、造影剤の漏出が確認できるので、後遺障害の立証は、比較的には簡単です。
引き抜き損傷では、眼瞼下垂、縮瞳および眼球陥没のホルネル症候群を伴う可能性が大となり、手指の異常発汗も認められています。

ホルネル症候群
ホルネル症候群

眼瞼下垂、縮瞳および眼球陥没では、神経眼科を受診し、醜状障害の可能性も視野に入れながら、後遺障害の立証をしていかなければなりません。

2)後遺障害の立証よりも、改善を得ることが、なにより重要ですから、受傷2カ月で専門医を受診、上記の手術の可否判断、改善の可能性について、年齢に関係なく、被害者自身で確認され、判断することを勧めています。モタモタして行動を先延ばしにしていると、手術による改善は不可能となります。
手術の適応とならないときは、受傷から6カ月で症状固定とし、後遺障害診断を受けます。
神経移行術が実施されたときは、平均すれば、手術から4カ月を経過した時点で症状固定とし、後遺障害診断を受けています。

3)DFMT法が実施されたときは、術後およそ8カ月を経過した時点で症状固定とし、後遺障害診断を受けています。事故後6カ月で手術を受けたとして、症状固定までには事故後1年2カ月を要します。

4)自賠法のルールでは、正常値の10%以上に可動域が改善したときは、用を廃したものではなく、機能障害ととらえられ、健側の2分の1以下であれば10級10号で喪失率27%、4分の3以下であれば、12級6号で喪失率14%が認定されています。
例えば、右肩関節の屈曲や外転が25°であるときは、10級10号となりますが、高いところにあるモノをとることも、高いところにモノを上げることも、まったくできません。
つまり、肩関節の役目を果たしていないのですが、自賠法では10級10号、喪失率27%で、用廃の8級6号、喪失率45%に比較すれば、相当に見劣りするのです。
しかし、自賠法の規定ですから、被害者個人が声を上げても、取り上げられることはありません。
上位等級を認定するには、法改正が必要となるからです。

5)したがって、本件の傷病であれば、弁護士に委任し、訴訟で決着することが常識的です。
であれば、自賠責保険の認定等級に縛られることなく、事故前の仕事の内容と、実際の上肢の機能の実用性を検証して、きめ細かく等級、喪失率、喪失年数を議論して損害賠償につなげていくことができるからです。

6)手の痺れや、握力の低下がある頚椎捻挫の診断書に、稀に、腕神経叢麻痺の傷病名が記載されていることがありますが、頚椎捻挫で、腕神経叢麻痺が起こることはあり得ません。
したがって、気にすることもありません。

7)上腕神経叢麻痺の治療に実績のあるもう1つの治療先を紹介しておきます。
※都立 広尾病院 整形外科
〒150-0013 東京都渋谷区恵比寿2-34-10
TEL 03-3444-1181
医師 田尻康人副院長、川野健一整形外科部長
専門外来 末梢神経外科外来 木曜日の午後

(6)NPOジコイチの経験則

1)14歳、男子中学生が自転車で通学の途中、信号機の設置されていない生活道路の交差点で、自動車と出合い頭衝突し、3mほど跳ね飛ばされ、右肩から転倒しました。

お互い、スピードも出ておらず、よくある出合い頭衝突のパターンですが、この中学生は、全型の上腕神経叢麻痺により、右上肢のすべての機能を失い、1上肢の用を全廃したものとして5級6号が認定されました。私が経験した初めての上腕神経叢麻痺、完全型です。

2)通勤途上の27歳、男性会社員が、自転車で路側帯を直進中、センターラインオーバーの大型貨物車の衝突を受け転倒、左肺挫傷、左血気胸、左肋骨多発骨折、左尺骨々幹部骨折、左腕上腕神経叢麻痺(左C5~T1の引き抜き損傷)で地元の医大病院に救急搬送されました。

受傷から236日目に肋間神経移行術で入院するも、脂肪肝で延期となり、ほぼ9カ月を経過した275日目に、3、4、5の肋間神経を筋皮神経に移行する手術を受けました。
術後9カ月を経過、筋電図検査で再神経支配が認められたのですが、筋力の低下により、左肩の自動運動は不能、左肘の屈曲は15°左手関節の自動運動不能、左指は、僅かにピクリと反応する程度の改善でした。1上肢の用を廃したものとして5級6号、1手の5の手指の用を廃したもの7級7号で5級相当が認定され、損害賠償は、連携の弁護士に引き継ぎました。

※等級認定のルールでは、5級と7級では併合3級となるのですが、1上肢を肘関節以上で失ったもの、4級4号を超える障害ではないので、本件は5級相当が認定されています。

3)夜勤を終えた29歳女性看護師が、250ccの単車を運転して自宅に戻る途上で幹線国道を東進中、道を間違え、バックで左方向から国道に進入した大型貨物車に跳ね飛ばされ、右鎖骨遠位端骨折、右上腕神経叢麻痺(C5、6の引き抜き損傷)右副神経損傷と診断されています。

受傷から1年9カ月を経過した段階で交通事故無料相談会に参加されました。
受傷から10カ月の時点で肋間神経移行術が実施されていたのですが、右肩の自動運動は、屈曲10°外転10°伸展0°で用を廃した状態でした。
右肘は手術により屈曲130°まで改善しており、右手関節、右手指に機能障害はありません。
ところが、上腕神経叢麻痺で10級10号、右鎖骨の変形で12級5号、併合9級となっています。

神経麻痺であるのに、他動値が計測されており、もっとも他動値もデタラメな計測であったのですが、左右の他動値の比較で判断された様子で10級10号とされていました。
手の専門医を受診し、改めてMRI検査と右肩の計測を依頼し、それらの診断結果と、「本件は、C5、6の引き抜き損傷を原因とする神経麻痺であり、等級認定では、自動運動で判断されるべきである。」 との医師所見を提出し、異議申立を行いました。
右肩は8級6号に訂正され、併合7級が認定され、損害賠償は、連携の弁護士に引き継ぎました。